無職が働くまでのブログ

無職が働くまでのみちのり。でも本当に働くのかどうかは神のみぞ知る。

結局、巡り巡って、「働く」、しかないんじゃないかなぁ。いやだけど②

前回の記事はこちら

haniwaking.hatenablog.com

 

無職になってみて

前回の続き。実際にニートになってみてどうだったか。

まず感じたのは本当に自分で好きなことをしていいという「自由」だった。

 

実家に戻って本当に最初のころは、やれ年金手続きだ、住民票の移動だとなにかとやることはあった。しかしそれが落ち着くと、本当に自分の好きに時間を使っていいということで「自由」を感じていた。

 

1時間ぐらい昼寝してもいい。

朝起きてから好きなだけゲームしていい。

何も予定がないからいつ寝てもいい。

加えて実家のためごはんも提供される。

まさに理想のニート生活であった。

(ちなみにやっていたゲームは主に「nier re incarnation」と「アークナイツ」。本当に面白いのでお勧め。)

 

そんな生活が一か月ほど続いて、ふと気づいたことがあった。

それは「何もしなければ何も起きない」ということだ。

 

どういうことかというと、「自分でやろうと思った以外のことはなにも起きない」ということである。

これはまぁ考えてみれば当たり前のことで、誰とも連絡をとらないで一人でいるのだから自分の生活に「他人」というものがが全く存在せず、予想外のことや偶然の出会いといったものがまったく生じないのである(親はもちろんいるがほとんどお互い干渉せずに生活している)。

 

思えば小学校から大学、社会人まで、誰かに言われたことをやり続けていたように思う。

進路などは多少自分で選択したものもあるが、それはあくまで用意された選択肢の中でしかなかったように思う。

これは余談になるが、私は自分の部屋というものをもたず、家族で一つの部屋一緒に過ごすような家庭環境のなか育ってきた。

そこでは自分が好むと好まざるとにかかわらずいろんなことに巻き込まれていた。つまり自発的に何かをしなくても常に何かが起きているような環境だったのだ。

 もちろん環境がすべてというつもりはないが、それによって影響があったのは確かだろう。

 

そんなこんなで、私は、大げさではなく生まれて初めて「自分が何かしないと何も起きない環境」に長く身を置いているのだと気づいた。

 

心境が変化し始める

さて、そんなこんなでニート生活もしばらく続いてきたところで、自分の心境に変化が起き始める。

 

どのような変化が起きたのか?

 

それはまた次回に。